あまり知られていない旧スク水の「いつから」と「いつまで」
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この記事のフェチ度指数と方向性
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  • フェチ上級者
  • スクール水着の歴史について知りたい方向け
  • フェチについて考察を深めたい方向け

スクール水着はその形状によって「旧スク」「新スク」といった様々な呼称に分かれることはよく知られています。

その中で世間から「これぞスクール水着」という認識が強い旧スクにおいては、多くの人が知るところではありますが「いつから」旧スクが存在していたのか。「いつまで」使われていたのか、といったことについてはあまり知られていません。
今回はそんな旧スクの歴史に焦点を当て「いつから」「いつまで」を解説致します。

この記事のポイント

  • 旧スク水の歴史に焦点を当て旧スク水が使われていたのは「いつから」「いつまで」なのかを解説している。
  • 旧スク水は1964年東京五輪で、一番記録が古いものとして残っていた。
  • 旧スク水は、1964年当時としては最先端の競泳水着だったと考えられている。

いつから旧スク水は使われ始めたのか

いつから旧スク水は使われ始めたのか
▲旧スク水といえば唯一無二の特徴も言える股の部分のデザイン。この水着はいつから使われていたのだろうか。

旧スク水が使われ始めたのは、学校教育の現場ではなく1964年東京オリンピックで、一番記録が古いものとして残っています。
学校教育の現場で使われた旧スク水の歴史については下記の記事でも触れておりますので、あわせて御覧ください。

当時としては最先端の競泳水着だったと考えられています。
旧旧タイプのスク水、旧旧スク水は1932年ロサンゼルスオリンピック、1936年ベルリンオリンピックで前畑秀子選手が着用したことが初めてだと言われていますが、短いスカートの付いた旧スク水のような形状をしていたため、現在、あるいはこのあとに登場する水着と比べ、水流の抵抗が大きかったことと、素材が絹製であったため繊維内に水分を大きく取り込んでしまうという欠点がありました。

また当時としてはあまり問題にならなかったのかもしれませんが、透けやすいという点もありました。

その時代から大戦期を経て、ナイロン縫製の形態で登場したのが旧スク水になります。
旧旧スク水の欠点だった水分の保持性が軽減され水着の技術が大きく進化した時代でもありました。

旧スク水は当初は腹部で切り返す形状で、旧スク水の特徴として見られる「水抜き」はありませんでしたが、その後、改良され現在の私達がよく知る旧スク水になったと言われています。

また1968年メキシコオリンピックでは身体にフィットしやすくするための「プリンセスライン」が取り入れられました。
プリンセスラインとは胸部横から腰のあるスカートの部分までに入れられた立体裁断のことで、身体へのフィッティング性能を高めるための構造のことです。

いつまで旧スク水は使われていたのか

いつまで旧スク水は使われていたのか
▲現在では「コスプレ」の代名詞のように語られることもある旧スク水。子供より大人が着ることが多くなったかもしれない。

それではいつ頃まで旧スク水は使われていたのでしょうか。
オリンピックのようなスポーツ競技の場面においては、1976年モントリオールオリンピックから新スク水タイプの競泳水着に変遷していったため、トップアスリートの世界では70年代中期には次第に使われなくなったと考えられます。

しかし、学校教育の現場においては当時でも現役で、その最盛期は水泳の授業でも新スク水や競泳スク水が使われるようになる直前の1970年代後半~1980年代前半でした。

それ以降、1980年代以降に新スク水や競泳スク水が登場することになります。
この頃になりますと次第に旧スク水もまた、教育現場から姿を消し始めることになり、水泳の授業で多少違うメーカーのスクール水着が混じっていたとしても大きな問題にならなかったことから、新スク水や競泳スク水に混じって、たまに旧スク水の女の子がいる、という光景が見られるようになりました。
しかし、今度は新スク水などもまた時代の波によって姿を変えていくことになり、最終的に旧スク水は2000年代前半までは教育の現場で使われていたようです。この点については、sukumizu.tv出演のモデルの声による証言でわかりました。

もちろん現在でも旧スク水タイプのスク水は販売されているものの、水泳の授業の減少、そもそもの話でスクール水着自体の形状にも大きな変化があるため、現在では余り見ることができない、というのが一般的です。

いつから「旧スク水」と呼ばれ始めたのか

いつから「旧スク水」と呼ばれ始めたのか
▲旧スク水は最初から「旧スク水」「旧スク」と呼ばれていたわけではない。その後のスクール水着の進化の過程において生まれた言葉だ。

旧スク水のことを明確に呼称し始めたのは90年代に入ってからと考えられています。

当然の話ですが、旧スク水が登場したとされる1964年から旧スク水と呼ばれていたわけではありません。スクール水着の呼称が明確になったのは、定かではないものの80年代後半頃と言われています。

あくまで学校用の水着ということではありましたが、「学校水着」とか「水泳水着」といった形容はされず、単純に水着と呼ばれていました。それがいつの間にか学校で使う水着だから「スクール水着」となり、それが転じて略称として「スク水」と呼ばれ始めました。

おそらく当初はメーカー側が「スクール水着」と端を発したのがきっかけだと考えられますが、定着の一助となったのは80年代後半から90年代にかけて一世を風靡したジュニアアイドル系の雑誌、いわゆるお菓子系雑誌の台頭が影響したことでしょう。

雑誌の中でスクール水着を着用した女性アイドルと並べて「スク水」の見出しなどが並びましたが、この当時、主流となっていたのは競泳スク水であったため、そこから逆算して古いタイプのものを旧スク水と呼び始めたのがきっかけだと考えられます。

余談になりますが、その後、旧スク水と新スク水で形状が違うことから、後付のような感じで新スク水が生まれ、パイピングのスクール水着との差別化を図るため、2000年代以降に競泳スク水といった造語が生まれました。

この点についてはインターネット黎明期と言われる2000年当初から、国内最初のSNSとしてmixiが生まれた2004年から2005年にかけて広まったと考えられます。

まとめ:旧スク水の「いつから」「いつまで」

旧スク水が使われ始めたのがオリンピックであることは、当サイトの記事でもいくつか触れてきましたが、その水着が旧スク水と親しまれるようになるのは、もっと後のことというのが、ちょっとおもしろい点です。

残念ながら誰が最初に旧スク水と言い出したかは明確な記録を見つけることができませんでしたが、ジュニアアイドルが全盛となった90年代には使われていた言葉であることから、まずはお菓子系という存在が与えてくれたキーワードであるということ。

そして個人個人がなんとなく好きだったニッチなフェチ、ジャンルをインターネットやSNSを介して結びついたことで、新たな価値観や概念が生まれ、新スク水、競泳スク水と行った言葉が生まれたと考えられています。

どんなことでもそうだったかもしれませんが、特にフェチの世界においてはこのSNS、インターネット黎明期に大きな変革が起こったと考えられているため、スクール水着においても同様であったと考えられます。

 
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