みんな大好き!かつての三種の神器、ブルマ興亡の歴史

お菓子系雑誌が流行っていた1990年代から2000年初期において、三種の神器と呼ばれた衣装がありました。
それはセーラー服、スクール水着、そしてブルマのことを指していました。
現在でもグラビア写真はたくさんありますが、この三種の神器は児童保護の観点からか少しずつ表舞台から姿を消し始め、特にブルマにおいては学校教育の現場でも使用されなくなってしまったことは皆さんもご存知でしょう。
sukumizu.tvにおいてブルマは競泳水着、スクール水着の副次的な衣装として取り扱っておりますが、今回はそんなブルマにスポットライトを当て、ブルマの興亡の歴史を解説いたします。

ブルマの歴史は女性が作った歴史でもある

ブルマの歴史は女性が作った歴史でもある

▲現在、我々が知るブルマといえば、このような形状のものだろう。

ブルマが誕生したのは19世紀中期と言われています。当時の女性のインナーといえば身体を締め上げるコルセットのようなものが主流であり、現在のように女性が身体を自由に動かして運動するようなことは忌み嫌われていた時代でした。
そのことに反発した女性解放運動家であるエリザベス・スミス・テラーによって考案されたのがブルマの原型となった自由度の高い下着と言われています。
もちろんこの下着は当時としては革新的なもので、そのことに着目したアメリカ合衆国のアメリア・ジェンクス・ブルーマーが女性や奴隷解放運動のための新聞「リリー」でテラーの下着を紹介したところ、またたく間に話題となり世間に広まったとされています。
一般的にブルマを作ったのはブルーマー氏だからブルマと名付けられたということで知られていますが、その原型となったのはテラー氏ということはあまり知られていません。
しかし女性解放運動としてブルーマー氏による功績が多大だったことから、ブルーマー氏の名前からつけられたものという説があります。

最初のブルマは現在のような形ではなかった

最初のブルマは現在のような形ではなかった

▲1850年代に生まれた当時のブルマ。現在のものと比べると大きく違うのがよくわかる。

さて、そんな発祥のブルマですが、現代でも知られている「ショーツ型ブルマ」と呼ばれるものではなく、ニッカポッカのようなだぶつきのある膝丈まであるズボンのようなものをブルマと呼んでいました。
女性が運動しやすいための衣服という点では、コルセットのような矯正下着と比べると遥かに運動性能が高まったと言えますが、ブルマ発祥当時は現在のように肌を露出するようなことは避けられていたようです。

ちょうちんブルマが取り扱われていた時代と背景

ブルマが好きな諸氏には聞き覚えもあると思われる「ちょうちんブルマ」ですが、相当古い時代のものに着用されてきたブルマであることはなんとなくイメージできるのではないかと思います。
ショーツ型ブルマが登場する1970年前後までは、現在のツーウェイ生地が扱われることが少なかったことから、一般的に手に入れやすい生地を使ってブルマが作られていました。伸縮性が少ない生地が用いられており、腰回りと裾口にゴムを入れ、だぶついた生地を調整して着用されてきたのがちょうちんブルマでした。
見た目にもだぶついた部分がちょうちんのように見えることからちょうちん型、と言われていたのは想像に難くないでしょう。このブルマは、スポーツの場面ではもちろんのこと、学校教育の現場でも使われてきました。

ショーツ型ブルマの時代が到来する

ショーツ型ブルマの時代が到来する

▲イタリアで使われていたmacron製、バレーボールブルマ。

ブルマが現在もっとも知られているショーツ型ブルマの形になったのは1964年東京オリンピック以降だったと言われています。
この頃には化学繊維の発達により、衣服はもちろんのこと、スポーツウェアに伸縮性のある生地が用いられるようになった時代でもあります。
ショーツ型ブルマを初めてオリンピックで採用したのは旧ソビエト連邦で、日本では女子バレー日本代表も試作品を持ち込んだという経緯があります(実際に使われたのは改良型のショートパンツと言われています)

国内での普及、そして間もなく起こる反対運動

国内での普及、そして間もなく起こる反対運動

▲1964年東京オリンピックを皮切りに普及が始まったショーツ型ブルマは四半期も経たないうちに排斥の流れをたどることに。

ショーツ型ブルマが顕著に日本国内で普及されだしたのは1970年以降と言われています。
当時の学校教育で取り扱われてきた体操着はもんぺ型のようなもの、先述のちょうちんブルマを太もも半ばまで着用するようなスタイルが主流でしたが、当時、ブルマを採用していたバレーボールが人気スポーツであったことから、スポーティーで脚の可動域も広く取ることができ、軽量ということで採用する学校が増えていったと言われています。
しかし、ブルマはその形状から、ブルマからパンツがはみ出してしまういわゆるハミパンが起こりやすいという問題を抱えていました。
もっとも最初からハミパンすることは製作時にも想定されていたかもしれませんが、成長期の女子において臀部が大きくなっていく思春期段階で、どうしても個人差が生まれやすくなるため、サイズが微妙に合わないものだったりすると、下着がはみ出してしまう、ということも女子個々によっては起こり得ることでした。
このことが起因して、性的に見えてしまう、という問題をはらんだことから1980年代に入るとブルマ反対運動が起こることになります。

当時の女子はブルマを着用することに抵抗はなかったのか

当時の女子はブルマを着用することに抵抗はなかったのか

▲学校などでブルマを穿いたことのないモデルさんに「ブルマって恥ずかしくない?」と聞いたところ、どう考えても恥ずかしいという回答を得ることがあった。

ブルマの歴史の流れから少し脱線しますが、特に平成生まれ以降の女性にとっては学校の体育の授業でブルマを着用することはあまりにも恥ずかしいことで、信じられない、という人が大多数です。
このことから「当時の女性はブルマを着用することが恥ずかしくなかったのか?」という疑問がよく言われますが、当時の女性としても学校でブルマを着用することは抵抗のある人が多かったと言われています。
野外で、しかも男子の視線があるような場面でブルマを着用することは、やはり女性にとって恥ずかしいことだと考える人は少なくなかったということです。
しかし当時は現在ほどジェンダー問題について話されるような時代ではなかったということ、学校がやることだから、と仕方なしに授業でブルマを着用することが当然の時代でした。

ブルマ排斥の動きから廃止まで

ブルマ排斥の動きから廃止まで

▲排斥の流れが生まれた1980年代から2000年初頭にかけ、ブルマは約20年の時を経て学校教育の現場から姿を消す事になった。

さて、そんな性的指向性を感じさせるブルマですが、排斥から廃止までの流れについて解説を進めましょう。
学校で着用することが当たり前の時代となった1970年台後期から1980年代前半までは、致し方なしとして使われ続けたブルマですが、1987年に名古屋西高で女子生徒の体操着として採用されたブルマに対して学生から反対運動が起こりました。以降、新聞の投書欄で女子学生によるブルマ反対の投書が掲載されるようになったのもこのタイミングです。
1990年代には社会問題ともなったブルセラショップの台頭により、現在のフェティッシュ文化のようなものが商業的に展開されるようになったところで、いよいよブルマ排斥の流れが大きなものに変化するようになりました。
この頃にはブルセラショップの存在もそうでしたが、学校内でブルマが盗まれたりするような事件も社会的に表面化するようになり、ブルマの存在が性的搾取の被害に遭っている、と考える人が増えるようになります。
またこのタイミングで国内のサッカーリーグであるJリーグが発足されましたが、プロサッカー選手のユニフォームがハーフパンツであったことから、いよいよ女子もハーフパンツでいいのではないかという議論が生まれるようになります。
政治的な意見が交わされたのは1995年、東京都小金井議会で若竹綾子市議が問題提起を行い、これがきっかけとなってブルマー廃止の流れがスタートすることになります。
その直前の1994年はブルマ廃止を決めた学校が現れたこともありましたが、最終的にはその10年後、2004年に公立学校、2005年には私立の学校でブルマの廃止が決まり、学校教育の現場からブルマが消滅することになりました。

ブルマは完全に消滅してしまったのか

ブルマは完全に消滅してしまったのか

▲コスプレとしてブルマは現在でも使われているが、スポーツの場面では陸上競技で今でも使われている。愛用している選手も多いということか。

先述の通り、2005年には学校教育の現場からブルマが消滅しましたが、この世から完全にブルマが消滅してしまったというわけではありません。
現在までの流れで言えば、その後、コスプレ用の衣装として用いられることが増えたほか、いわゆる見せパンとしてブルマが用いられたり、陸上競技用のユニフォームとしてブルマが使われていることもあります。
ブルマのスタートは女性を抑圧から開放するためのアイコンでしたが、スポーツの場面を経て、現在では一部のスポーツ、そしてファッションアイテムとして活用されるようになっています。

まとめ:ブルマは女性によって生まれ、女性によって排斥された

ブルマの歴史を見てみますと、前時代的で抑圧されてきた女性の解放運動のシンボルとして捉えられ、スポーツの場面に躍り出ることになりましたが、一方では露出の問題点からすべての女性が支持するというものではなく、結果として女性を中心とする反対運動によって、その多くが少なくとも日本から姿を消す事になりました。
もっとも1964年東京オリンピック時点で、ショーツ型ブルマに変化を始めたタイミングで、技術的、あるいは学術的な運動性能を高めるためを目的とした改良の部分で男性の手が介在したことはなんとなく想像できると思います。
そのときに一緒に研究した女性の存在もあったと思いますが、その場にいた女性がどう思っていたのか、というのは少し知りたいところでもあります。
ただスポーツ最先端の場面だったと思うので、アスリートに近い、あるいはアスリートと呼ばれる女性にとっては、肌を露出することにそれほど抵抗がなかったのかもしれません。それが幸か不幸か、学校教育の現場に流れたことが、ブルマ排斥の流れとなった一因なのかな、とも推察しております。

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