「LGBTQ」あなたはご存知ですか?
近年、このLGBTQへの認知が大きな広がりを見せており、名前だけならみなさんも一度くらいは耳にした事があるかもしれません。性的少数者の社会的受容を目標に改善を求める行動と定義されており、なんと1976年から活動が行われていたようです。
日本人でも数多く利用しているSNSの一つ、Facebookのアメリカ版には、驚くことに58種類の性別があるとか。現在日本でのLGBTQ層の割合は8.9%と出ており、これは左利きやAB型の割合とほぼ同じであることに驚く人も多いかもしれません。
さて、そんな私も身近な存在になって来ているLGBTQの一人です。今回は私が「同性から見るフェチの感じ方」というテーマでお話しさせて頂きます。
この記事を書いたモデル
男と女でどう違うのか?
男性が女性を好き、女性が男性を好き、という一般的なノーマルの方は、同性愛者の嗜好や恋愛観、性の事情がとても気になります。今、これを読んでいる方も、きっと気になっているから読んでいることだと思います。
先日、私は同じようなテーマでとあるLGBTQの対談をさせて頂きました。その中で貰った質問に「好きな人とはどこで出会うの?」というものがありました。私は、こういう事がみんな気になるのか!と驚きました。
結論から伝えますと「男女ペアのノーマルカップルと同じ」です。恋に落ちるのに差はありません。違いを強いて言うなら、LGBTQをカミングアウトする必要があるというくらいです。
同性愛者の女性が女性を見るときは、男性視点+αがある
話を戻しまして、この質問では恋愛についてでしたが、女性を見た時の感じ方も答えは変わらず、ノーマルな方と同じです。
男性が女性を見る時の感覚と同性愛者の女性が女性を見る時の感覚はほとんど同じです。ただ男性が女性を見る視点と同性愛者の女性が女性を見る時に一つ決定的な違いがあります。
例えば水着の女性が目の前に立っているとします。そこにノーマルな男性と同性愛者の女性が二人とも水着の女性を見ているとしたら、通常の男性は恋愛対象・性的対象としてその水着女性を見るでしょう。
そして同性愛者である女性もまた、先程の男性と同じく恋愛対象・性的対象として水着女性を見ます。ここまでは同じです。
では、どこが違うのか?
それは、同性愛者の女性の中には水着女性の事を性的対象ではなく純粋な曲線美や芸術作品として見ていることがあります。
これは同性愛者ではないノーマル女性が女性を見る時と同じになります。同性愛者なら性的欲求の対象に見るのでは?何故ノーマル女性と思考が同じになる?と思った方もいるでしょう。これには訳があります。
肉体的な性別ではなく精神的なものによる、“男性性”・“女性性”と呼ばれるもので、男性であってもオラオラと強そうではなく、包容力や父性のある人や、女性でも逞しく一人で生きていくロジカル思考なバリキャリなどと言った人です。そこで同性愛者の女性でも相手の豊満な体など肉体的な部分ではなく精神的な部分で人を好きになる事があります。
特に女性はノーマルであってもこの傾向が強く、LGBTQだとより一層この傾向は強いです。その為、恋愛や性的対象は精神面から始まる人だと体を見ても芸術となり、その先に自分との関係などは全く連想しません。しかしフェチな要素として興奮することはありますが、性的興奮ではなく絵画や高級車を見た時にファンが興奮する感覚です。このようなケースが存在します。
また余談ですが、同性愛者の女性には『自分のなりたい女性像=恋愛対象でのタイプ』という人がいます。ノーマルでは、巨乳がタイプの男性が巨乳になりたいとは思わないはずです。
しかし同性愛者では、ボーイッシュになりたい女性がボーイッシュな女性に恋愛的に惹かれていく、というケースがあります。長くなりましたが、このように同性愛者特有の感覚は一部あるものの、基本的に男女どちらにせよ女性を対象として見ている場合、水着女性を見て感じる事は同じですよと言うことです。
男女別のフェチ
まず始めに、「フェチ」とは一体どんなものなのでしょうか?
LGBTQと同じく、近頃はよく使われるようになり耳にする事も増えました。しかし、説明しろと言われると明確にどんなものか説明出来ない人も多いのではないでしょうか?
フェチとは、フェティシズムの略で、デジタル大辞泉(小学館)によると「特定の種類の物に異常な執着・偏愛を示す人」と記載があります。元々の起源は宗教学で石などに神聖なものが宿る事を指した言葉だったようです。とても興味深いですよね。
先程の水着女性の話でもう一度例えますが、結局このケースでもノーマルな男性と同性愛者の女性での違いというより、見る場所はそれぞれのフェチ次第となります。水着女性を二人とも対象として見ている場合、そこに男女差はないでしょう。
しかし、そこで「同性愛者に多い特有のフェチがあるのかも?」と思われる方もいると思います。
フェチと言っても最近割と有名なものから、聞いた事もないマニアックと感じるものまで、数多く存在しています。その中で「同性愛者の女性だからこそ!」というようなフェチは残念ながらありません。
感じる興奮の種類は同性愛者では分かれるという話は先述しましたが、結局は各々が興奮する〇〇フェチかどうかだけです。そこにノーマルだとか同性愛者だとかは関係なく、仮にどちらも脚フェチであるならば、男女関係なく同じように興奮するでしょう。
ただ、男性が女性を見る時よりも、女性が女性を見る時は、一般的な男性が見る胸やお尻以外の箇所を見ていることもあり、男性のように「胸とお尻がとにかく好き!どちら派?」というような会話には至らない印象があります。同性で体の作りが同じだからこそ、細かい視点になっていくような気がします。
同性愛者の女性から見た女性が着る競泳水着
ここまで、恋の落ち方や興奮の仕方はノーマルの方と同性愛者であまり差はない事をお話しました。
また、違いとしては性的対象として興奮する方と、芸術作品として興奮する方に分かれる事もお話ししました。その上でやっと当サイトのメインとも言える、競泳水着・スク水・ハイレグ系の、いわゆるピチピチとした体のラインがくっきり浮かび上がる類のフェチはどうなんだということです。同性愛者の女性の感覚として、肉体的欲求・精神的欲求どちらを強く持つ方であっても共通して言えることは、露出があまりに高すぎて下品に映る事は嫌います。
これはモデルをしている中で私自身が感じていることですが、女性に恥じらいは持っていて欲しいと考えている男性は多いと思います。同じように同性愛者であっても女性には上品でいて欲しいと考える方が多いです。
例えば素っ裸の女性がボディビルダーのように自信満々におおっ広げて「見よ!」と言っていたらどうでしょう。もちろん一部のフェチ・嗜好の方は好きな人がいるのも理解していますが、一般的にはどうでしょうか?
恥じらいもなく可愛げがないと感じるでしょう。また、裸でも興奮しないという人さえいると思います。
その感覚と近しい感覚で、下品な女性には魅力を感じません。
下品と感じる基準は人それぞれで一概には言えません。しかしピチピチ系にハマる同性愛者は少なからず単に露出面積の広さより、布面積広いのに体のラインがはっきりしているところに上品さや美しさを感じていると思います。
この部分ではノーマル男性であっても共感ポイントかもしれません。しかしピチピチ系好きで共通したノーマル男性と、同性愛者の女性でも一点違いはあります。
それは女性はあくまで美しく見えることが重要なため、スタイルの悪い方は競泳水着を着ていても、女性の競泳水着フェチにとっては、フェチ心に刺さらないでしょう。
ここでのスタイルの悪さというのは、わかりやすく言うと、ぽっちゃりとそれ以上の境目は当然ながら人それぞれになってしまいます。体のラインがはっきりしているからこそ、ワイヤー入りブラなど衣類でサポートしたり変形できずにありのままが表に見えるからこそ女性から見てスタイルがいいという尊敬も一部含まれているのかもしれませんね。
最後になりますが、必ず例外の人もいます。それだけ同性愛者を始めLGBTQはまだまだ奥が深い世界。知らない世界だからこそ興味津々という方が読まれていると思います。
隣の畑は青く見える人も、色物として面白さを感じている人も多いです。
私が伝えたいのは好きになる対象が周りや自分と違うからと言って、恋の落ち方やフェチの感性はみなさんと何も変わらないのです。あなたの周りにいなければ余計に宇宙人的な、よくわからない存在に見えるかもしれません。
それでも誰かを好きになる気持ちに差はありませんし、中身おっさん系女子が流行ったように、単純に可愛い子が好きな女性は多いです。“可愛い”は誰にとっても正義であるという事。そして好みのタイプがみんな違うように、好みの性が違っても、マニアックなフェチでも、みんな純粋に惹かれているだけなのです。